さっさと次へ行こう。もう日本という物語は終わったのです。
賃金の安い中国人やインド人との競争のせいで、日本人の賃金が下がってるなんて、ウソなんだ。
そもそも、国際競争によって賃金が下がるなんて、あり得ないんだ。
どんなに中国人やインド人が安い賃金で激しく働こうが、そんなことには関係なく、日本人の労働の価値自体は、変わらない。
サンマを一箱分、築地から目黒まで運ぶ労働の価値は、30年前と今でなんの変わりもない。100年前も変わらないし、100年後にも変わらない。貿易をしても、競争をしても、イノベーションが起きても、変わらない。
イノベーションによって日本人の労働の価値は常に上昇しているし、国際貿易をして、お互いが豊かになることはあっても、競争のせいで生活が貧しくなるなんてことはあり得ないんだ。
だから、同じ労働に対して支払われる賃金も変わることはない。
グローバリズムそれ自体のせいで、賃金が下がったり労働条件が悪化していくなんて、あり得ないんだ。
支払われる金額や待遇が変わったとすれば、それは単に、物価の変動に過ぎないんだ。
そう、変わったのは、実は、労働者の賃金でも労働条件でもなく、モノの価値の方なんだ。
値札に書かれた数字が変わらないまま、みんなの気がつかないところで、物価だけが凄い速度で上昇していったんだ。
価格は変わらないまま、価値だけが急激に上昇していったんだ。
その結果、見かけ上、労働者の賃金が下がり、サービス残業が増え、労働条件が悪化しているように見えるだけなんだ。
貨幣制度が目くらましになって、それが見えなくなっているだけなんだ。
金額や価格などという、見かけに惑わされちゃいけない。
なんで、モノの価値が上昇したかというと、モノの量が減ったからだ。
なんでモノの量が減ったかというと、人間の数が増えたからだ。
もっと正確に言うと、人間らしい暮らしをする人間の数が、爆発的に増えたからだ。
中国や、インドや、ベトナムや、ロシアや、ブラジルで、人間らしい暮らしをする人間の数が、今、この瞬間も、とてつもない勢いで増え続けているからだ。
いままでにない巨大な人口が、ガソリンを消費し、鉄を消費し、魚を食べているからだ。
人間らしい暮らしをするのに必要なモノの供給量はそれほど変わらないのに、人間らしい暮らしをする人間の数だけ爆発的に増えたものだから、人間らしい暮らしをする人間一人あたりに割り当てられるモノの量が劇的に減少したのだ。
だから、同じ価値の労働を提供しても、それと交換できるモノの量は、当然減る。
おやつの量は変わらないのに、兄弟の数が二倍に増えれば、一人が食べられるおやつの量は半分になる。
単純な算数だ。
そういう状況で、いままでと同じだけのモノを手に入れ続けようとすれば、当然のことながら、今までよりも、多くの価値を生み出す労働をしなければならない。
2006年に日本という物語はすでに終わってたのか・・・
知らなかった。